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曽宮一念アトリエ前に立つ水船六洲。

落合道人さまの「下落合を描いた画家たち・水船六洲」(https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2023-07-14)を、大変興味深く拝読いたしました。東の丘から聖母病院がよく見えた一時期の風情が彷彿としてきました。 E6B0B4E888B9E585ADE6B4B2E3808CE88196E6AF8DE79785E999A2(E890BDE59088E9A2A8E699AF)E3808D1932.jpg ただ、描画ポイントについて、50メートルほど東に動かした位置も提案したく、ナマケモノのものたがひ、画像をアップすることにしました。というのは、水島六洲は、聖母病院のドームをずいぶん縦長にデフォルメしているだけでなく、描画ポイントを移動させつつ、画面を構成しているように思うからです。たしかに聖母坂沿いのウイングの建物は、佐藤さんのお宅の庭先にあたるところに入り込まなければ、南面・東面を同時に見ることが出来ません。しかし、二つの塔と聖母坂沿いウイングの位置関係は、曽宮一念アトリエ前に行かなければ、こうは見えないからです(二つの塔の間に空間があり、聖母坂沿いウイングと東南の塔が接するように重なる)。 72.jpg 若い水島六洲は、雑草の生えた空地を歩きまわり、モチーフを「作って」いったのでしょう。その時、曽宮アトリエ前のこの位置でもスケッチをしたのならば、六洲と一念は、明らかに面識があると考えられます。六洲の兄が東京美術学校の西洋画科で一念の後輩であることも、関係があるかもしれません。 …しかし、聖母病院の塔は、このように周囲から望めたにもかかわらず、曽宮をはじめとして他の画家たちが、それを画題とした作品を残していないようであるのは、なぜかという問いが浮かんできました。(https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2010-03-27 を除いて?)
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